情報ネットワーク法学会設立の趣旨
情報ネットワーク法学会設立発起人
発起人代表 慶應義塾大学教授 苗村憲司
情報ネットワーク社会の到来
 情報のデジタル化とコンピュータのネットワーク化,そしてそれに伴う情報技術の発展は,社会のあらゆる分野に対して大きな影響を与え続けている。このこ とは,単に技術面においてのみならず,政治,経済,法律等を含むすべての社会生活面においても同様である。証券取引その他の投資,金融,受発注,アミュー ズメント及び福祉事業を含む様々な取引や契約がコンピュータ・ネットワークを介してなされ,デジタル・コンテンツが主要な商品となり,SOHOや在宅勤務 を含む労働がこのネットワーク環境を用いて実現されるようになった。さらに,C政府調達やインターネットを介した行政サービスの提供等にも見られるような 政府部門の活動だけではなく,司法部門の活動までもがネットワーク技術を活用したものとなってきている。このような変化に対応すべく,既存の社会組織も大 きな変容を遂げようとしている。
「情報法」の必要性
 この変化は,法についても存在する。たとえば,財産法の分野では,既存の法は,「物体」としての「財」を中心として法理論及び法システムが構築されてき た。所有権,占有権,担保物権などがそうであるし,契約の締結も紙の書面によってなされ,裁判上の証拠及び訴訟運営も書面を中心として考えられてきた。犯 罪法の分野でも,物体としての財産や人の身体などの物理的に存在するものを中心に,主として国内犯を念頭に置いて法理論及び法システムが構築されてきた。
しかし,新たにできつつある情報ネットワーク環境では,複製可能で媒体との結合関係の希薄な「情報」が中心的な「法益」となる。犯罪は,国境を超えたネッ トワーク空間で発生するようになった。知的財産法の分野でも,ビジネス方法特許がネットワーク上で媒体に固定されることなく実行され,デジタル・コンテン ツも媒体無しに流通し始めている。
これらのことから分かるように,既存の法理論を支える根本原理が揺らぎつつある。このような「物体としての財から情報としての財へ」という重要な変化を直 視し,人類が永年の努力によって確保してきた基本的人権の保障を維持しながら,情報ネットワーク環境に生起する新たな事象に,その特性を踏まえて適切に対 処することができる法学研究,法制整備,司法運営を速やかに確立することが求められている。
情報ネットワーク社会における「表現の自由」
 情報技術の発展は一方で,非常に多くの人々に対して,自己の表現行為を実現することのできる環境を用意した。このこと自体は,これまで既存の出版,新 聞,テレビ等のマス・メディア,あるいは政府公報等のみに事実上独占されていた「表現の自由」が,個々の市民の手に取り戻されたという意味で大いに歓迎す べきことである。しかし同時に,このことによって,市民による表現行為をめぐる法的問題が多発する事態を招くこととなっている。今後,情報ネットワークに かかわるユーザの数がさらに増大すると,表現行為にかかわる紛争もさらに増加するかもしれない。しかし,人類にとっても最も重要な基本権である精神的自由 権を維持するためには,安易・無思慮に法的規制を加えれば良いというものではない。表現行為にまつわる紛争は,社会の中で自律的に解決されるべきであり, 法が介入すべきではない部分を多く含んでいる。このような法によるべきものとそうすべきでないものとの境界設定は,情報ネットワークの基本構造とその文化 的背景に対する深い洞察なしになされてはならないはずである。
自動実行性
 情報ネットワーク環境では,すべてのやりとりがプログラムによって実行できる。このため,取引法の分野では,ソフトウェア・エージェントによる契約やコ ンピュータによる自動決済等の社会現象に見られるように,生きた人間の数より多い「取引当事者」が機能することが可能となっている。
現在の法システムは,このようなプログラムによって起きる現実の重要事態を想定して構築されてはいない。これらの現象の法的解明はいまだ十分ではなく,こ れらの現象に対応すべく制定された諸々の法律も十分に合理的なものにまで成長しているとは到底言えない状況にある。
サイバーテロ・サイバー戦争
 犯罪法の分野でも,コンピュータ・ウイルスや分散型サービス拒否攻撃(Distributed Denial of Service Attack: DDoS Attack)の手法を用いたクラッキングによって,1人の行為者が無数の分身を作り,サイバースペース上でテロ活動を行うこと(サイバーテロ)が可能と なっている。同じ手法を用いて,サイバースペース上で軍事活動を行うことも可能となっており,既に米国政府はこうした事態を「サイバー戦争」と呼んで,国 家的な危機管理・国防上の課題として位置づけている。
社会変革に対応した法システムの必要性
 さらに,ネットワーク上の電子モールや小口電子商取引,ネット・オークション,電子出版などにも見られるように,取引をするプレイヤーの構造が,製造 者・流通・販売・顧客という図式から,アルビン・トフラーのいう「プロシューマ的なもの」へと変化しつつある。このことは,既存の業態が電子的なやりとり に対応したものへと変化することを意味するだけでなく,労働も変化し,社会的に有用性を維持できなくなった業種は消滅してしまうことをも意味する。このよ うな社会変革に対応した法学研究,法制整備,司法システムの確立も喫緊の課題である。
グローバル性
 これらすべての要因とともに,ネットワークの超国境性は,地理的に区切られた主権国家単位の法制度を大きく揺り動かそうとしている。それは実体法の抵触 や手続法・法執行の不適合という従来からの問題の延長というだけではなく,新しい法域や新しい統治形態の出現の可能性までも秘めた現象である。また,情報 ネットワークは,一方では民主制の実質化のために機能するという側面を持ちながら,他方では監視と管理が強化された世界をももたらし得る“両刃の剣”のよ うな性質も有している。このような新たな社会システムや法システムの出現を是とするか非とするかはともかく,その可能性を直視した,新たな思考の地平を拓 く必要が生じてきているのである。
情報ネットワーク社会の特殊性を考慮した対応の重要性
 以上のような社会の変化を踏まえ,情報技術に対する正確な認識を前提に,バランスの良い合理的な対応を研究し,必要な提言をしていくことは,法学研究に 携わる者の現代的責務の一つである。また,情報ネットワーク分野に関連するビジネスの世界に生きる人々にとっても,そのような法的検討を考慮せずには,投 資に見合った成果を得ることはおろか,その生存さえ危ういものとなることは明らかである。
したがって,このような状況に対応した法学研究,法制整備,司法システムの確立は喫緊の課題であるが、本問題がさまざまな分野への交錯性という特色を有す るものであることを考慮するならば,既存の法分野を峻別した法学研究及び法律実務において対処することが困難な領域であることは否定できない事実である。
 こうした認識のもと,我々はこれまで,関係する各分野の専門家による小規模な研究グループとして,サイバー法研究会,サイバー・ロー研究会,法情報学研 究会等を組織し,これらの問題と真剣に取り組み,その研究成果を公表して社会に還元してきた。このような専門家を中心とする研究活動は,今後も継続される べきものである。
学際的研究の必要性
 しかし,現代社会は,より大きな枠組み上で言及された様々な法的問題に取り組むことをひつようとしている。法律専門家でない人々も参加可能であり,情報 ネットワークを活用して相互に良いフィードバックが機能するようなプラットフォームを構築し,専門家の言葉だけで語られるのではなく,その真の実質に対す る認識が共有できるようにしなければならない。この分野において,法律専門家でない人々にとっては,法律面及び情報技術面のそれぞれについて真に事態を直 視・理解し,人々のために尽くしている専門家の所在情報が提供されることが重要であり,その所在情報を介して,必要な専門知識を得ることができるようにし なければならないからである。同時に,法律専門家にとっても,自らの孤立・偏狭を防止するために,現実の社会事実としての問題状況に対する認識を専門家で ない人々と共有できることが必要だからである。
情報ネットワーク法学会の設立
 このような認識を踏まえ,我々は,情報ネットワーク法学会を設立することを決意した。我々はこれまで,情報ネットワーク法学会の設立に向け,長い時間を かけて準備を重ねてきた。「学会」という枠組みは,既にその有用性に疑問をもたれるものになってしまっているかもしれない。しかし,現実世界と情報ネット ワーク環境とを架橋するための研究団体にとって合理的で有用な組織形態として,我々は議論と思慮を重ねた上で,あえて「学会」という古い革袋を選択するこ とにした。この革袋は,いずれ新たな容器へと取り替えられるべきものかもしれない。だが,我々は,現時点においては,様々な分野の人々が安心して参加可能 であり,かつ,真に社会貢献が可能な研究団体を構築するための形式として「学会」という手慣れた社会的方式を採用するのが妥当であると判断する。


我々は,ここに,情報ネットワーク法学会の設立準備を世に公表し,賛同者の参加を募ることとしたい。
2002年5月
発起人(五十音順・敬称等省略)
青山幹雄(南山大学)
赤澤宏平(新潟大学)
淺井達雄(松下電器産業)
飯島 歩(弁護士)
石井 茂(日経BP社)
石川万里子(「法情報資料室」主宰)
石島 隆(新日本監査法人・日本システム監査人協会)
石前禎幸(明治大学)
井上雅夫(弁理士)
一戸信哉(稚内北星学園大学)
井手康彦(NTTコミュニケーションズ)
伊藤仁吾(東芝)
伊藤博之(苫小牧駒澤大学)
指宿 信(立命館大学)
岩下廣美(朝日監査法人)
上野達弘(成城大学)
江崎禎英(経済産業省)
大谷和子(日本総合研究所)
大友幸雄(TKC)
大橋充直(法務省)
岡野泰子(早稲田大学大学院生)
岡村久道(弁護士・近畿大学)
岡村 靖(ソフトバンクコマース)
岡本和彦(宇部興産)
岡本 真(ACADEMIC RESOURCE GUIDE)
小川 清(名古屋市工業研究所)
落合洋司(ヤフー・弁護士)
小野昌延(弁護士)
笠原毅彦(桐蔭横浜大学)
加藤敏幸(関西大学)
金子啓子(松下電器産業)
川浦康至(横浜市立大学)
河村寛治(明治学院大学)
北岡弘章(弁護士)
北川善太郎(名城大学)
君嶋祐子(慶応大学・弁護士)
久米 孝(経済産業省)
国分明男(インターネット協会)
後藤邦夫(南山大学)
小松 弘(弁護士)
是安俊之(ビー・エム・エル)
齋藤憲道(松下電器産業)
齊藤正彰(北星学園大学)
坂  明(警察庁)
阪井和男(明治大学)
坂部 望(苫小牧駒澤大学)
阪本泰男(総務省)
相良紀子(弁護士)
佐久間秀樹(日本オラクル)
酒匂一郎(九州大学大学院)
佐々木俊尚(アスキー)
佐藤慶浩(日本ヒューレット・パッカード)
重松孝明(電子商取引推進協議会)
島田範正(読売新聞社)
島田裕次(東京ガス)
島並 良(神戸大学)
清水幹治(内閣官房)
下井康史(鹿児島大学)
新保史生(明治大学)
須川賢洋(新潟大学)
杉野信雄(朝日新聞社)
鈴木將文(名古屋大学)
鈴木正朝(ニフティ)
園田 寿(関西大学)
高橋郁夫(弁護士)
高橋秀明(ユニアデックス)
立崎正夫(警察庁)
立山紘毅(山口大学)
中條道雄(関西学院大学)
翅  力(リックテレコム)
東井芳隆(国土交通省)
内藤 平(弁護士)
苗村憲司(慶応義塾大学)
中島純一(同志社女子大学)
中島 宏(跡見学園女子大学)
中田彰生(毎日新聞社)
中野秀男(大阪市立大学)
中村裕哲(新日本法規出版)
中村壽宏(九州国際大学)
夏井高人(明治大学・弁護士)
奈良順司(東京リサーチ・インターナショナル)
新田克己(東京工業大学)
野口祐子(弁護士)
配島 誠(地方自治情報センター)
橋場義之(上智大学)
長谷川清(司法書士)
長谷川元洋(金城学院大学)
浜田良樹(北海道大学)
早貸淳子(法務省)
林紘一郎(慶応義塾大学)
坂東俊矢(京都学園大学)
平野 晋(中央大学・米国NY州弁護士)
平野高志(弁護士・マイクロソフト・アジア・リミテッド)
福島力洋(熊本大学)
藤田素康(リコー)
藤田康幸(弁護士)
藤本 亮(活水女子大学)
古谷榮男(弁理士)
細川幸一(国民生活センター)
堀部政男(中央大学)
本田正男(弁護士)
牧野二郎(弁護士)
町村泰貴(亜細亜大学)
松浦康彦(ジャーナリスト・大妻女子大学)
松岡輝美(大分大学)
松嶋隆弘(日本大学)
丸橋 透(富士通)
丸山憲樹(ギガプライズ)
丸山満彦(監査法人トーマツ・公認会計士)
水谷雅彦(京都大学)
三田紀之(在米国日本国大使館)
三谷慶一郎(NTTデータ経営研究所)
緑川冨美雄(地域科学研究会)
三輪信雄(ラック)
村上敬亮(経済産業省)
村田 潔(明治大学)
村田 真(日本IBM)
八尾 晃(大阪商業大学)
安田一陽(判例タイムズ)
安田直義(日本ネットワークセキュリティ協会)
矢野直明(サイバーリテラシー研究所)
薮口康夫(岩手大学)
山神清和(東京大学)
山口 厚(東京大学)
山田智重(弁理士)
山田真貴子(総務省)
山本順一(図書館情報大学)
山本隆彦(株式会社松村組・一級建築士)
養老真一(大阪大学)
吉田正彦(総務省)
米丸恒治(立命館大学)
脇田一郎(監査法人トーマツ・公認会計士)
渡邉 修(新潟大学)
和田 悟(明治大学)